ネットの風評と情報の信頼性

風評

「炎上」や「風評被害」など新たに世間に普及した言葉が出てきた

近年はインターネットが広く普及し、子供から高齢者まで幅広くどこにいてもスマートフォンでインターネットにアクセスできるようになると共に、ソーシャルネットワーキングサービス通称「SNS」で誰もが広く発信する能力を持つようになりました。

これに伴って、「炎上」や「風評被害」など新たに世間に普及した言葉やこれまでよりもより身近になったわ言葉が多く現れています。

特にこの「風評」というのにはインターネットを利用するなかでも最も気を配るべき事柄となっています。
そもそも「風評」自体は昔から存在して、それによる誤情報や都市伝説みたいなものが広がった例も数多くあります。

しかしそれまでに人づてに広まっていたもので、どこからか情報の出所がつかめなくなり言葉だけでは信憑性の乏しいということもあり、これほどまでに気にする事ではありませんでした。

そもそも何が正しいのかなど僅かな情報だけでは判断できないのは当たり前の事です。

テレビや雑誌が広く普及し広く情報を発信できる能力を持った人が多く表れてもこの状況はそれほど大きく変わることはなく、一般の人もテレビの情報を元にそれぞれがそれぞれのコミュニティーで情報交換をし話題にすることもありましたしそれによる風評被害はないとは言えませんが、それほど気にする程度のものではないというのは変わらなかったようです。

SNSが普及し誰もが情報を発信できる時代になった

そもそもなぜ、どうしてそうなるという事をすべての人が理解することというのは難しくとらえ方は人それぞれな面もあるからです。

テレビや新聞、雑誌などの情報発信する側もきちんと情報リテラシーをもって、信頼に値するわかりやすくまとめられた文章とその情報源をもって発信する事を行っており、真実やスクープを求めるあまり多少過激になっていた時代こそあれど情報の一定の信憑性を持った情報を選別し世間にひろげています。

ところがSNSが普及しだすと、誰もが情報を発信できる時代になってしまいました。

これまでは業界について学んだ人間が取材をし、知識のある人が情報を取りまとめ、複数人で発信できるか判断を行い発信してきたものが、一般人が立った数秒で行えるようになってしまいました。

さらにタグ機能や検索機能を使う事で同様の意見や、賛同する意見に触れる事が出来るようになりより高速でより遠くの人と多くのコミュニケーションが取れるようになり「風評」というものがより大きな存在になってしまいました。

とは言っても、一般人が情報を発信し「多くの人が賛同するのだからその情報は正しい」と結論にいたるのは、間違っていると私は考えています。

現在もデマカセや嘘が広く広がっている

基本的に一般の人は広くコミュニケーションをとっているように見えても基本的には一部のコミュニティでの情報でしかなかったり特定のジャンルに視野を狭めての情報でしかないケースが多く偏見やデマカセ、でっち上げられたものが多いです。

たとえ嘘でも、賛同されたり見ず知らずの他人に評価されることで自己顕示欲を満たすことが、日本人の快楽心理にかなり効くようで、現在もデマカセや嘘が広く広がっています。

最近ではネット上で歪んだ保守思想まなんだ通称「ネトウヨ」と呼ばれる人たちが、ブログの記事に踊らされ「正義だ!」信じこみ特定の弁護士に懲戒請求をおこしてしまう事件がおこっています。

当然、弁護士側も不当であると判断し、法廷で争う構えもふまえて騒動に発展していますし、世間一般の考えではネトウヨ側の行為は超えてはいけない常識的規範を逸脱したものであり、如何に情報リテラシーのない人がネットでの情報に踊らされているかを証明する結果になりました。

気分で情報を発信して間違った風評を多くうみだす現状を変える必要がある

SNSは正しく利用すれば非常に便利なツールであるというのは私も考えてはおりますが、「だれもが瞬時に幅広く情報を発信できるほど人間は賢くないのではないのかな」という考えをもっています。

実際知識ある人でも多くの人の意見を取り入れあらゆる視点から情報の善し悪しを判断して発信しているのですから。それを一般人が匿名だからと言って何を言っても良い、間違っていても問題ないと軽視するのは言語道断であり、私見でしかないものに同調し拡散していく事にも疑問を感じます。

私はSNSを廃止する必要はないとはおもいますが、誰もかれもが発進する前にきちんとした一般教育を受けた上で情報リテラシーと報道についての知識をつけ試験をうけたうえで発信できる免許みたいなものが必要になるのではないかと考えています。

気分で情報を発信して間違った風評を多くうみだす現状をかえていく必要があると、だれもが考えているのではないでしょうか?

現在でもいろいろな媒体で多くの情報が発進されていますし、高度情報化社会となって長い時間がたっているようにかんじますが、本当に信頼できる情報なのかきちんと判断し、真実しっかり見極めていく必要があります。

世間に出回る情報が多い今情報リテラシーをより重視して生活していく必要があると私は考えています。

出典元:風評監視ツールならイメージチェッカー

和商コーポレーションなど焼きたてが最高の宇都宮餃子

浜松と二分する宇都宮餃子の人気の秘訣とは?

宇都宮が餃子の街として知られるようになってから久しいものがあり、浜松との餃子バトルも話題になり毎年勝負の行方が取り沙汰されては、二つの都市の餃子人気がうなぎのぼりとなっています。

デパートの物産展でも双方の都市から名店が出店して行列をつくる光景が目立つようになっていますが、見た目はともかく双方で味わいがいくぶん違ったものになっていることはあまり知られておらず、明確な違いに関しても詳しい点まで熟知している人はさほど多くないのが現状です。

ニュース番組などで解説される違いでは、焼きたて熱々のところを飲食店で味わうのが主流の宇都宮に対して、浜松の場合はテイクアウトして家庭で賞味するほうが多めという、食べるシーンの相違が挙げられています。

工場などが多い企業城下町の浜松では仕事帰りに購入して自宅で夕食のおかずとして味わうことで消費を伸ばしたという説が、広く知られるようになってきました。

起源に関してはご当地双方共に戦後に中国から復員して来た人がつくって販売するようになったということが言われていますが、宇都宮に関してはさらに明確な歴史として伝わっており、第二次世界大戦まで宇都宮師管区とする陸軍第14師団が、現在の中国・満州に駐屯していたことにルーツがあるとされます。

宇都宮餃子の歴史を紐解く

満州には地元で古くから賞味されていた満州餃子があり、当時の日本人はその美味しさが忘れられず戦後日本に引き揚げてからもその味を再現しようと考えた人が少なくなかったことから、一般の人々の間にも次第に広まって行き多くの専門店が各地に登場するようになったと伝えられています。

本場満州では水ギョウザとして茹でたものを賞味するのが一般的でしたが、日本人は米飯が主食だったこともあっておかずになりやすい鍋貼と呼ばれる油で焼いたタイプが好まれ、戦後の日本でもそちらが主流となりました。

さらに1990年には地域ぐるみの街おこしフードとしてクローズアップされるようになり、1994年には駅前にギョウザ像が設置されるほどとなって、それ以降全国的に有名になって行きました。

浜松のほうも広く一般的に賞味されるようになったのは中国からの引揚者が商売として餃子を販売するようになって以降と言われますが、一説にはルーツはさらにさかのぼって大正時代から賞味されていたとされ、全国に先駆けて大正時代から焼きギョウザが主流だったと伝えられています。

地元ではかなり人気もあって連日多くの人が味わいました。
浜松には大正時代から中国人が多く居住していたことから、故郷の味を再現した料理を出す店で既に焼きギョウザが賞味されていたためと考察されています。

あんの肉は少なめで白菜がメインになってる宇都宮餃子

中身のあんも当時は肉のほうが多めながらもキャベツが使われていたと伝わり、現在の肉が多めで野菜はキャベツが主流という浜松スタイルの元になったというのが一般的な通説です。

現在では基本の肉多めのあんに野菜はキャベツのほかニラやネギではなくタマネギが使われているケースが多い点が浜松ギョウザの特徴と言われ、付け合わせに茹でモヤシを添える点も特徴的となっています。

あんに使われる野菜の違いは双方で流通しやすい野菜の種類の違いにもありますが、基本が満州スタイルという宇都宮ではあんの肉は少なめで野菜のほうが野菜が多めに使われておりメインがハクサイになっている点が特徴的と言われます。

本場・満州のレシピがハクサイ中心だったこともあり、基本スタイルに沿った味わいとなっていることから、消費量よりも味自慢バトルになった場合に歴史的にどちらが正統派かという争いにもなってしまい、さらに勝負の行方を複雑にしているともささやかれるようになりました。

宇都宮では肉はあんのメインではなく野菜にほど良い味付けになるから使用しているという考え方で、肉を皮で包んだものを賞味するのではなくあんそのもののジューシーな美味しさをぱりぱりに焼いた皮ごと、熱々のところを味わうものといったスタイルを貫いているとされます。

テイクアウトよりは人気の名店で焼きたてをすぐに賞味するのが魅力

テイクアウトよりは人気の名店で焼きたてのところをすぐに賞味することこそ真の美味しさを体感できるとあって、スーパーマーケットの店頭でお惣菜として焼かれたものや、冷凍品の焼きギョウザも含めた消費量で浜松に負けたとしてもプライドは一向に傷つけられないといった態度を貫いている市民がほとんどと言われます。

その点で言えば物産展などでご当地ギョウザとして全国各地で販売されているものを味わって、本場の味を賞味したと言われることに不満を抱く人も少なくないとされ、多くの市民が地元で味わってほしいと切望しています。

一説に週末に市内を走る電車の車内はニンニクの匂いで満ちていると言われていましたが、名だたる人気店には一般的に車で向かう人が多いとされることから、電車内の匂いの件は都市伝説のようなものとささやかれています。

消費量自慢よりもどちらの都市も味自慢の方向でさらなる発展を続けており、グルメには嬉しい状況だと和商コーポレーションは言及しています。

 

参考文献

和商コーポレーション